ザ・スカンヂナビア・アライアンスミッション・オブ・ノースアメリカ前史

ザ・スカンジナビア・アライアンス・ミッション・オブ・ノースアメリカ前史

~C・E・カールソン宣教師による紹介(1915年『護教』の記事より

 

『スカンヂネービアン・アライアンス(同盟基督教会)は、他のミッションとは、多く趣を異にして、ある特別の教派によって、支えられているのではありません。然からば、その伝道資金はどこから仰ぐか。又宣教師はどこから派遣せらるゝか。それは全能なる神のなし給うところで、私は少しくこのことについて申し述べたいと思います。

ちょうど今から6、70年昔(注:1850年代)のこと、瑞典(注:スウェーデン)に非常なリバイバルが起こりました。そして平信徒は神の導きをうけ、起ってキリストの福音を宣べつたえました。その結果、神を求める者があちこちに起こって、救いの意義を真実に味わい、神と共なるの経験を得ました。ところが当時この国の教会には、自由というものがなく、牧師の他には神の御言葉を語ることを許されませんでしたから、平信徒にして神の御言葉を伝えたものは、それぞれ刑罰をうけました。然し人々はも早この古い形式を墨守することはできませんでした。かくて一つにはこの刑罰のため、又他には経済上の問題のために、多くの人がアメリカ合衆国へ渡りました。而してその地に宗教上の自由を得ました後、これらの人々の信仰と愛とが、広くその地の人々を動かして、所々にリバイバルが起こりました。このため学校教育をうけない人々の中にも、神のために一身を捧げようという人が沢山できました。かくして財源の道が開かれ遂に神を知らぬ国々に、キリストの福音を宣べ伝うるに至ったのであります。

さて、叙上の新しい運動により、驚くべき信仰と、非常な熱心とを以て、神のために奮起した人々がありましたが、フランスンは実にその一人でありました。彼の心には、起ちて神を知らざる人々を救おうという熱烈な希望が湧きました。そして東洋、中にも中国にその心を注ぎました。すると彼の偉大な事業に対して、多くの男女が従おうと決心いたしました。けれども教育のないものは採用せられないというのが、伝道会社の条件でしたので、彼はこれらの熱心な人々のために、外国伝道の道を開きました。かくて彼は、所々に五六週間で終えるような聖書の講習会を開き、多くの熱心な年若い男女を沢山集めましたが、これらの人々が後東洋へ派遣せらるゝに至ったのであります。そして先ず中国に道を伝えることになりましたが、中途それらの人々が横浜へ上陸した折、日本の宗教状態を見、且つ日本が西洋の文物をとり入れているのをみて、日本にもまた伝道の必要なことをフランスンの許まで書き送りました。このためその年(一八九一年)の秋十一月、十五人の宣教師が日本へ送られました。これがそもそも我が派の日本伝道の始めであります。

宣教師は各々その補助をある教会、もしくは個人の手からうける約束になっていますが、こゝに一つの遵奉すべき事柄があります。それは「只人の補助にたよるな。もしその補助を断たれても、失望するな。ひたすら神に祈り求めよ」と、いうのであります。かくて私共は堅い決心をもって、伝道に当たっているのでありますが、他の宣教師の事業に比しても、神の福音を伝えることに於いては、私共かなりの成績を挙げていることゝ思います。而して私共の希望は、我が同盟教会の創立者たるフランソン氏及びなつかしい故郷をあとに遥々東洋に渡り、僅かばかりの生活費に甘んじて、神の国の建設につとめた先輩の篤い信仰、又亡びゆく霊魂を救わんとして祈求これ止まなかった熱烈なるその希望を継承して、只々同盟協会の所在地のみならず、普く日本の諸地にキリストの福音を宣伝せんことであります』

日本同盟キリスト教団 東中野駅( JR中央・総武線/都営地下鉄大江戸線)から徒歩4分  1907年から中野区で宣教しているプロテスタント・キリスト教会